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碧水庵徒然日記

一凡俗に拠る、感じた事云々~思う処徒然記。

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皇紀2671年

  恭賀新年 

 初詣は、いつも御世話になっている久伊豆神社へ。
 初詣恒例で御神籤を引いたら、
「良い事があった時のみ有難がり、辛い時だけ縋りつく。
花火の様にパッとしてお終いの、その場だけ信心じゃ駄目」
と、直球で叱られました。
 そう言われてみれば、思い当たる節は山程……。
 神社参拝はそれなりの気概を以てだが、毎朝の大祓詞奏上がルーチンワークになりつつあったのよな。常に信心を以て奏上と言うよりも、「いつもの日課で・流れでしている」という感じで。
 これじゃあ、注意されてアタリマエですな。初心に返ったつもりで気をつけましょう、うん。
 昨年は色々と有難うございました、本年も宜しくお願い致します。
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テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

神社 | コメント:0 | トラックバック:3 |

京都行き

 色々と用事有で京都行き。
 悪縁を絶ち切る為、崇徳上皇さんがお祀りされている安井金毘羅宮へ御参拝。
 悪縁と言うより。嵌り易い己がマイナス思考をぶった斬りに、と言い換えるべきか?
 マイナス思考になり易いのも「そういうモノを呼び込み易い性質・縁の一」と捉えれば、悪縁に数えて好いかな??
 それはさておき。
 悪縁断ち切り祈願の為には、縁切り縁結び碑を潜らないとならない。
 此処に来るのは2度目だけど、この碑はいつ見ても”重い”……様々な念が纏わり憑いてる様な と言うのか、何やらゾッとする。
 碑を潜るのかと考えると身の竦む思いだが、思い切ってエイ!と潜ってみた。
 潜る直前までは、近寄るのも嫌で仕方なかった碑だけど。潜り終えると、気分がスッとした。
 正に「憑物が落ちた」って感じだろうかね。悪縁絶ち、効くと思うよ。
京都行き…の続きを読む

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神社 | コメント:0 | トラックバック:1 |

退いた訳

 時々、「何でシゴト辞めたの?」と訊かれるけど。
 「何故?」の理由を伝えるのはなかなか難しく……、余り言わないままで来てしまった様な。
 理由は、何処かで書いた様な覚えもあるけれど、ここでも一寸書付けておきます。
 先ずは、魂魄の仕組みからおさらいを。
 人の魂魄は「(私心・欲心・念)」と「魂(公徳心・慈愛)」で成り立っている。
 魄が欲を司るからと言って削除は不能。「何かしたい」と行動の原動力は欲や私心に拠るので、魄が無ければ何1つ出来なくなってしまう。無気力・無関心じゃ、意欲が湧かず何も出来ないのと同じですな。
 魄が好い方に働けば、魂の公徳心を上手く発揮出来るが。ニンゲンは感情の生き物と言う事で、始終 善い事をし続けるなんて不可能。私心や感情は暴走し易いもの。
 だからこそ、如何に魄をコントロールして行くか が課題になってくる。
 魄に「穢れ」が無く、浄化済み状態を純魄と言い、穢れ塗れな状態を濁魄と呼ぶ。純魄で在れば望ましいのは御尤も。
 しかし。
 感情が昂ぶり過ぎる・哂う・罵る・頑固・頑迷・固執・嫉み等も「穢れ」に為る……この世に生きて様々な事象に触れて、何を見ても、
「うんうん、それで良いよ~」
と穏やかに受け流し続けるなんて、大変難しいですよ……。
 己には到底不可能です;見聞きする事全部が「好い事」ではないし、感情的になって「きーっ!」とキレたりもするし……。ホントにお恥しい……;
 と、ハナシが一寸横道に逸れたが。人の魄は濁ってて普通、くらいに思って下され。どんな善人でも純魄は至難の業と踏まえたが好いかも。
 濁魄状態で「霊能力使おう」と念ずれば、「類は友を呼ぶ」「引寄せの法則」の如く似た様な「よろしくないモノ」が集まり易くなり。
 でも、そんな「よろしくないモノ」と霊能力云々念が合致しても、それなりの「事象」は起こすのだそう。これは、産土神様への迷惑行為になるとか?
 ↑は、『幽真界研究』からの受売り。
 「何で迷惑行為になるか?」については、ここでは到底書ききれないので詳しくは御本を読んでみて下さい。山雅房さんへ直接注文なら確実に入手OKだけど、日本の古本屋さんで検索かけると、お安く手に入るかも?
 
   ・web拍手返信・
 9/6 ゴエちょろさん
「願い」も千差万別と思います。
ただ善い事を祈念する方も居れば、他者の不幸を願うヒトも居る……。
「皆の願い通り」には為り難いのでは無いかな?と思います。

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惟神 | コメント:0 | トラックバック:0 |

流れに任せる

 霊能力やら霊感に憬れる方は結構多いらしい。霊感等で不思議なモノを視聞きして、何かを知りたい……と。
 その気持ちはとても良く判る。己もそうだったから。
 中学の頃から霊やら何やらを見始め、何で見えるのか?気の所為じゃないんか??等と「見てしまうコト」自体が謎だらけで。ワカラン事を有耶無耶のままは性に合わない、霊感云々を磨いて行けば「色々判る」んじゃね?と、一寸ずつだけれど ズブズブと深みに嵌って行ったのよな。
 「判る様になりたい」「知りたい」と探究心と言えば聞えは好いが、結局の処は「もっと視たい(知りたい)」の興味が原動力だった様に思う。
 でも。
 「視て判った・~を言い当てた」としても、それが人助けになるかは全く別問題で。
 「~が視えた」→「おお~、凄いv」の流れで充たされるのは、興味や好奇心なのよな。エンターティメントとしては有効でも、誰かの苦痛軽減には繋がらない という。
 口語神判記実内に以下の記述が在る。(『神判記実』購入は日本の古本屋山雅房がお奨めかな?何故か古本のが新品より高額だったりするので、山雅房さんで求める方がお得かも

すべて神の御心は、残る隈なく人に幸福を授け、富を増さしめようとせらるのである。
されば其の御心にお任せすれば、吉事は自ら来り富は自ら得られるのである。
(中略)
これを自分の働きを以て得ようと思ふから、却って来る筈もない凶事を招き、増す筈も無い貧しさを増すことになるのである。
神判記実』P89より引用

 これは「神々は福徳を授けたいとは思っているが、受取り手・ヒトの方が余計な事をやらかすので届き難い」という事ですかな。
(何で苦難塗れなのかは夫々の陰徳貯金具合等で変わるから、福が届き難い=当事者の自業自得 とも限らんのだが。太上感応篇が参考になるか?
 霊感云々ハナシからは一寸ズレるに見えるけど^-^;
 神仏へ畏敬の念をすっ飛ばして「自分の働きを以って」とは、「自分の霊感であれもこれも知りたい・判りたい」に通じるモノがあるのでは?と思う。
 産土神様の采配にお任せしとけば好いモノを、「自分がしたい」から霊的云々へわざわざ首を突っ込んで色々やらかしてしまう……みたいな。「自分が!」となってしまうのはエゴだもんなぁ。
↑を書いてて脳天直撃な痛さだが、身から出た錆なので痛がっても仕方あるまい……。
 『幽真界研究』でも、
「修道とは、予知や霊視・霊聴等、派手な目立つ霊現象の中に在るものではなく、無意識の内に導いてくれるものを意味する」
といった事が書かれてあった。
 川に喩えて考えてみると。
(川の流れ=産土神様の采配 舟=人 操船=生き方・在り方 舵=の一) 
 流れに沿えば順調に進むが、流れや状況を無視して無理矢理に操船・強引に舵を切れば、舟はとんでもない方向へ向かうだろうし転覆で木っ端微塵も在り得る……と。
 「流れに任せる」を踏まえた上で行動するのが好いのかな?と思う。とは言え、それは「只 流されるだけ」とは違うし、何でも「Yes」で済ませて事勿れ主義でもなく、流れの見極めは簡単でもないのだけど。
「自分が知りたい」「自分で視たい」と霊感を磨く・霊能力を得るとは、流れに沿い難くなると留意した方が好いです。

 
   ・web拍手返信・

 7/17 ゴエちょろさん
出来る様になりたい は、大概の方が望む処だろうと思います。
よっぽどの固定概念に捉われていない限り、誰でも出来るモノですし。
しかし、「誰でも簡単に~出来る」は拙いキーワードの一 と踏まえた方が無難かもσ(^_^;)

 7/19 飛鳥さん
チャネリングを行う方は大勢いらっしゃいますけど。
情報の真偽を測る・ソレは本当に大丈夫なのか?
とのサニワが出来ているかは、又別な気がします(゚ー゚;A

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惟神 | コメント:0 | トラックバック:0 |

もう1人?

 日課の祝詞奏上中に、もう1人の祝詞の声が?
 大祓詞奏上してるのは己しか居ないのに、己に合わせたり一寸遅れたりしつつ 途中から誰かが祝詞奏上……ここは反響する構造では無いのに妙なコトだ。
 そういえば、『たわわの国から』さん内に同じ現象が紹介されてたなぁ。「祝詞奏上の声が1人分多い」って。
 何でそんな現象が起こるかは判らないけど、『たわわの国から』さんで書かれている通り「好い事ではない・相手しないのが無難」に同感。 
 禊の為に祝詞奏上なのに、それに同調?して途中から祝詞奏上とは「応援・支援」ではなく、「気が散るor逸れる」状況では?と思う。
 間違っても、産土神様直々のメッセージでは無さそうな……気をつけんとな。

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第949回「パワースポットへ行ったことはありますか?」

こんにちは!トラックバックテーマ担当の加瀬です! 今日のテーマは「パワースポットへ行ったことはありますか?」です。 とあるスピリチュアルカウンセラーがお勧めし、ブームとなっているパワースポット。それはあちこちに点在し、行くだけでパワーがみなぎり、また、癒しを与えてくれるとか…。皆さんは、そんなパワースポットへ行った事はありますか?私は、年越しを伊勢神宮で過ごした事があるのですが、初めて訪れた際、他...
FC2 トラックバックテーマ:「パワースポットへ行ったことはありますか?」


 >パワースポットへ行った事はありますか?
 「無い」です。
 己にとっては、神社=神域・畏敬を以って参拝でして。
 「ココへ参拝すれば運気up」と、お参りすればそれだけで見返りが頂ける風味(に見える;)のパワースポット巡りで神社参拝はNGと捉えてます。
 「行くだけで和む、癒される気がするから行ってみる」は有だけど、それはパワースポットとは別な感じが。神域へ踏み込む以上はそれ相応の気持ちで行かないと、御鎮まりになられている神々に無礼では……。
 神社・神域を運気upのパワースポットと曲解は、例えて言えば いつも御世話になっている相手さん方へ訪れて、
「来たんだから、それなりの御褒美は頂けるんですよね?」
と不躾なオネガイをしている感じになるだよな;
 ぱわーすぽっとへ行けば運気up!よりも、日々の敬神・祓・積善陰徳をコツコツと……が好い様に思うです。
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皇紀2670年

皇紀2670年 検見川神社
 検見川神社へ参拝して来ました。
 境内端の祓戸社は御神籤臨時頒布所に隠れて目立たなくなっていましたが、祓戸社の桟には十数枚のお賽銭が。賽銭箱は無く、桟に置く様式なのですよ<検見川神社の祓戸社
 それを見て、解る方はお解かりになって参拝して居られるのだなぁ と、嬉しくなった事でした。
 皇国と皆々様方とも好い年と成ります様に。

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女は土台

 先日見かけたTV番組で、
「女は土台だから、やたらと表に出て回るものじゃない。
土台(女)がしっかり支えて居れば、柱(男)が多少悪くてもちゃんと建つ。
どんなに立派な柱でも、土台が駄目なら建物は倒れちゃうんだよ」
と仰っている老婦人が居られた。本当にその通りだと思う。
 何?「男尊女卑!?」と目くじらを立てなさるな。
 他でも書いたが、此処でもちと書いておきます。
 古事記に於いて、イザナギイザナミの二柱の神が国産みの際、先ずイザナミから動いたら上手く行かず。御伺いを立てた処、
「女性が先に出るものではない」<意訳
という事で、イザナギからとしたら無事成った という故事が在る。
 神道関連書籍に拠ると、『神話=神々伝承に擬えて説いたもの』であるという。↑の二神の遣り取りは、
”男性から先、女性は後から”の方が望ましい・上手く行き易い
という意味だそう。
 これは、女性が「私が先」と出るのはマイナスの方が多い……の意でもあるかな。
 「女は土台」の喩えを「女は舞台裏方」と例えると解り易いか?
 表舞台に建つのは「役者・演じ手」で、道具係や演出家等が「私を見て!」と上演中に自己主張したら舞台は壊れる という。
 女が劣っているから黙って男に従うべき という話ではなく。
 「女性」の性質として。「私が私が!」と表に出過ぎると拙い傾向が有る。「男性を補佐」の方が上手く本領発揮し易い、というお話。
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御利益目当ての罠

 ココ暫くのスピリチュアルブームやらで、「神社=パワースポット・御利益が頂ける処」扱い気味が多いです。遠くの神社へ参拝して御神気に触れるコト自体は、それはそれでOKとは思います。
 しかし。
 普段は神社の”ジ”の字も触れず、鎮守様への敬神は0、や先祖供養も無関心。今が良ければ・自分さえ充たされていれば他所はカンケーナシってスタンス。
 神社に関心アリとしても、興味があるのは有名な古社のみ。一番御世話になっている鎮守様へは鼻も引っ掛けない。以前は己も似た様な……だった気が。真にお恥しい限り(_ _(--;(_ _(--;
 そんなんでお年始だけ「幸運や福徳を授けてくれ」と、お願いしても……正神には全く届いてませんぞ。
 御利益御利益~vと願って、聞届けて貰える場合もありますが。
 感謝や敬い・慎みも祓も無く、利己的な事柄を主張して聞届けてくれるのは正神ではない、と留意して下さい。
御利益目当ての罠…の続きを読む

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新嘗祭

 昨日は勤労感謝の日、であると同時に新嘗祭
 新嘗祭とは、天皇陛下自ら五穀豊穣の有難さを感謝する日ですな。
 今の日本に在ると「毎日食べられてトーゼン」だけど。「(特別な事情を除き)餓死者が出なくてアタリマエ」な日本とは、大変恵まれた国だと思う。
 天皇陛下は今年御在位20年を迎えられましたな。
 恥ずかしながら、近年まで皇室へは無関心……皇室が2千年続いてるから何だ?と、意に介していなかった。
 だけど、四方拝を知って「これは凄い」と驚嘆し、神道に触れ始め というのもあって、天皇陛下は素晴らしいと思う様になったんよな。
 四方拝で陛下は何を祈念されているかと言うと、
「国と民へ掛かる災いは我が身を通る様に、大難を小難へ変え給え」
と願っている<↑は大雑把な意訳
 もし、同じコトを祈念しろと言われたら、己は出来る胆力も度胸もありません……天皇陛下は本当に凄いです。
 陛下の御在位20周年お祝い及び、皇室に弥栄が在ります様に と、皇帝ダリヤ画像up。
皇帝ダリヤ
 台風襲来時に根元からまっ2つに裂けたりしたものの、見事立ち直って華麗な花を咲かせています^^
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