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一凡俗に拠る、感じた事云々~思う処徒然記。
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自燈明
2008-10-19 Sun 23:06
 ここ最近、大祓詞天津祝詞を唱えるの朝が続いている。時折、神社で聞く祝詞が心地良いので、1つ自分でも唱えてみましょうと。
 祝詞を唱えてみると、清々しく穏やかな気分で1日が始まる……そんな気がして心地良い。   
 今朝、祝詞を唱え終り、陽に向かいて二拝二拍手一拝としていたら、ガイドメッセージが届いた。
「どんな立場の相手でも、素晴らしい理念の基に動いている相手でも、とても親しい無二の間柄でも、彼等の言動が全て と自らを棄てて妄信してはいけない。
非常に信頼出来る相手であっても、相手の言動を変だと感じたら、その違和感を引っ込めない様に。誰が相手でも、違和感が有れば”おかしい”と立ち止まる様に。
相手を妄信し過ぎて、”自分が違和感を覚えた事が誤り、自分の解釈の仕方が変だ”と囚われない様に。”信用出来る相手だから、誤りの有る訳が無い”と、自らの感覚を潰さない様に。
経緯や事情はどうあれ、その言動に違和感を覚えるのは”自分には合わない・不適”という目安。
不適とは、その手段や思考が自分に合わない というだけで、相手自身を否定するものではなく。相手への信頼を止める必要は無いが、違和感を騙してまで追従の必要は無い。
どんな相手へも先入観を外して見定める様に」
 人を信じる事自体は好いけれど、行き過ぎて妄信になれば自分自身を見失う・自身の在り方から反れてしまうから、誰が相手でもしっかりと見据える様に という忠告らしい。
 例えば。当初はとても善い事を話して真摯に対応・謙虚だった能力者等が、何処でどう途を間違えたのか傲慢に変わってしまっても、当初から交流があって信じている人は、
「いや、この人に限って、驕るなんて事はない。そう見てしまった自分の方がオカシイ」
と、自分の違和感が誤りだと自身の感覚から目を背け続け、物凄い深みに嵌り痛手を負ったりする。
 違和感を覚えた段階で、一寸距離を置けば痛い目に遭わずに済んだのに、それまでの”接して充たされた、快かった実感”に固執して、相手への妄信を止めようとしない。
 こんなヒトだと思わなかった なんて失望したくはないから、幻滅して自分が傷付きたくないから、目の前の事実に蓋をしようとする。”コレは見間違いだ、自分の方が誤ってるハズ”と。
 自分の経験を振り返ってみて、過去のイメージを大事にする余り現実からは目を背けていた……と、痛い事を見ない様にしていたのは自分だ と思う。
 どんな素晴らしいヒトが相手でも、聖者とされるヒトが相手であっても、”違う”と引っ掛かりを感じたら、それは自分に合わない・採るべき途ではない。
 誰が相手でも、違うものは違うのだと、そう自身へ言える強さ・勇気を備えておきたいと思う。
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